Life is Not enough

無駄なことで人生の余白を埋めるのを手伝いたいブログ

就活生へ。「企業とかまじ何様」と思う前に自分が学生様になってないか考えろ

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そいつは、突然、目の前に現れた。

 

本当に突然だった。

まったく予期をしてなかった。

まさか、そんなとこにいるなんて。

 

高田馬場の駅前にあるドンキホンーテの隣のビルの3階。

エスカレーターに乗って登った目の前、まるで待ち構えていたかのように、視界に飛び込んできた。その顔に薄っすらと笑みを浮かべて。

 

焦りや恐怖の感情もありつつ、近づかずにはいられないような、でも触れてはいけないようなそんな気持ち。隣にいたそいつの仲間とはまるで違う。

人を強烈に惹きつけてるような、紫色の魅力的な抗えないようなオーラをまとっている。

 

僕はそいつの前で立ち止まり、思わず苦笑いをしてしまった。

そして、次の瞬間にはそいつを手に取っていた。

 

まったく、本当に『何様』だよ。

 

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24年間生きてきて辛かった思い出ベスト3を上げろ、と言われたら即答できる自信がある。

中学受験、大学受験、そして就職活動だ。

 

中学受験の時は小学校3年生の冬から塾に通わされた。

遊びのことしか頭にないようなガキにそんなことを強いる親は何様なんだと思った記憶がある。

学年が上がるにつれて塾に通う頻度も上がり、友達と遊ぶ時間も減っていき、本当に苦痛だった。

特に、夏期講習は地獄の極み。

 

朝から塾に行きよく分からない問題と向き合う。

机と黒板だけならぶ、小学生にとっては監獄のような場所で。

その頃から既に理系科目が嫌いかつ、苦手だった僕にとって、つるかめ算も塩の濃度も、球が転がる速度も本当にどうでもよかったし、一生のうちで塩の濃度を機にする瞬間なんて一生訪れないだろバーカ、と思っていた。僕の勉強嫌いは確実に中学受験で生成された。間違いない。

 

親としては、地元の中学校が荒れていたので私立の高校に通わせたいという意向だったらしい。

加えて、その中学は中高一貫校だったのがその高校でおじいちゃんがかつて先生をしていたことも理由の一つだった。

 

志望校も親が決めた中学だけ受けて、先生からもっと高いとこも目指せると言われてもどうでもよかった。

 

幸か不幸か、その中学はそこまで偏差値がバカ高いわけではなかったので、僕は無事にその中学に入学することができて、結局たくさんのいい思い出や友達ができてよかったのだが。何様と思ってしまった親に謝りたい。

 

大学受験も、似たような理由で嫌いだった。

まず、勉強が嫌い。加えて中でも英語が嫌い。

絶対将来英語なんかつかわねーだろ、なんで日本にいるのに外国語覚えないといけないんだと思いつつも、人生の最後の夏休みを手に入れるためだけに奮闘した。

 

学校のテストだけ頑張るタイプだった僕は持続的に能力が継続していたわけではなく、現役の時はあえなく失敗。記憶力だけに頼りまくった僕の勉強法は甚だ効率が悪かっただろう。

それでも、自己承認欲求というくだらないプライドだけで、勉強の意欲をトルコアイスのようにぐにょーんと伸ばして、二度とやるまいと決めていた大学受験の勉強を2年間もやったことだけは褒めてあげたい。

 

中学受験もそうだけど、勉強に関しては人のせいにはできない。

 

いくら問題が難しかったりひねくれていたりして、問題作ったやつ何考えてんだよ! と思ったとしても、勉強をしたらその分だけ成果として、解ける問題が増える確率は上がる。それに合否の判断は人柄や話の上手さ、自分のアピールの上手さでは決まらない。推薦入試や内部進学など面接があるような受験の場合は関わるかもしれないけど、基本的に学力だけが判断基準として用いられる。品行方正でも、チャラチャラしていても、オタクでも、ギャルでも、スポーツマンでも、文学少女でも、バンドマンでも、学校が満たした基準の学力が示せれば良い。ただそれだけ。その大学を志望した理由もいらないし、僕らが試験問題を作った人直接会うことはまずない。大学に受かったことが決まった後一緒に生活をするの時間のほぼ全ては同年代の人たちだし、先生や教授と仲良くなるとしても、ゼミや研究室の担当の人に限られるのが普通だろう。

 

大学受験は単純にずーっと勉強をしなければいけない期間が長かっただけで、勉強が嫌いな僕にとってその環境が辛かっただけのこと。自分のやりたいことを我慢するのが嫌だっただけ。中学受験も同じ。この2つが人生のうちで辛かった理由と、就職活動が人生のうちで最も辛かった理由には天と地ほどの差がある。

 

だって、就職活動は、まさに『何様』の連続だったから。

 

自己PR、志望動機、学生時代頑張ったこと、リーダーシップをとった経験、周りの人を巻き込んだ経験、尊敬している人、5年後・10年後はどう言ったキャリアプランを描いているか、この業界以外にはどう言ったところを受けているのか、内定はすでにあるのか、この会社でやりたいことはetc。

 

うるさい。

本当にうるさい。

 

いや、質問としては必要なのはわかった上で言いたい。自分が本当に志望した会社以外の志望動機なんて所詮捏造に過ぎないし、社会人になったこともなければ、その会社で働いたこともないのにやりたいことなんてわかるわけないし、キャリアプランなんて変わる可能性大だ。

 

逆に聞きますけど、面接しているあなたはこの会社が第一志望だったんですか?

自分が本当にやりたいと思ってこの会社に入ってるんですか?

入った当時に綺麗ごと言っただけじゃないんですか?

学生時代僕達より、なんか頑張っていたんですか?

 

そもそも、何か月もかけて作り上げた自己PRや志望動機が30分足らずで判断される時点でおかしい。30分もあればいいほうかもしれない。大企業や有名企業なんかは受ける人数が多いから15分、20分なんてこともザラだろう。それにそう言った企業に入りたい学生はみんな本気で自分の考えをまとめてくる。それなのにたった15分で判断するって、本当に何様なんですか? その時間で僕達の事理解しているんですか? そんなわけないですよね? 何段階評価かはわからないけれど、テストや論文などと違って、人間性を数字で評価するなんてどうかしてる。

 

就職活動中に本当に腹立たしかった面接のことを今でも覚えている。

 

ある会社の3次面接。面接官3人に対し僕1人。

明らかに興味のなさそうな感じで面接をしている。しかも、そのうちの一人が面接中に腕を組んで下を向いている。寝ているのかと見間違うくらいに。あまりにも不誠実だと思った。そっちにとっては何人もいる学生の一人で、所詮は日頃の30分と同じ瞬間かもしれない。けど、こっちは人生かかってんだ。内心めんどくさくてもやる気出せよ。上っ面だけでも繕えよ。

 

さらに、学生時代面接に関して驚いたことがある。

長期インターンシップとして、とある企業で働いていた時のことだ。

休憩室のようなところで、先輩と話していると、ソファで寝ている社員の方がむくりと起き上がった。

 

「あれ、Kさんこの後面接じゃないっすか?」

僕の先輩が尋ねる。

「あー、そうなんだよねぇ。マジめんどくさいわ(笑)」

 

その言葉を聞いた時背筋がゾッとした。

 

え、面倒臭いって、マジすか。だって、学生は今日のために頑張ってきたんですよ?

いや、確かにその人は人事部ではないし、他の仕事が忙しいのかもしれない中、面接の仕事を任されてそう思ってしまうのかもしれないけれど、もう少し誠実になるべきなんじゃないですか?そんなこと思って面接していいのかと、自分なら全部の面接に本気で取り組むと。学生に対して真摯に誠実に臨むと。口には出さなかったけどそう思ったのを覚えている。

 

『何様』の中でも、面接後の社員が喫煙所で面接した3人の学生について話すシーンがある。

さっきの学生達はどうだったかと、1人の社員が聞くと、別の社員が3人の学生全てに対してダメ出しをして、最終的には私なら全員落とすと言い切る。1人目はすぐ辞めそうだし、2人目は上っ面と勢いだけで押し切って中身がない感じ、3人目も自分がやりたいことができないと遅かれ早かれ結局辞めそう。そんな会話が交わされる。

 

就職活動がうまくいかなかった僕にとって、『何様』の前作的な位置付けともいうべき『何者』には当事者的立場から思わず恐怖したが、『何様』ではその企業の中の人の考え方にゾッとした。

1年前までは学生だった人間が、会社という箱に入った途端”企業様”という衣をかぶり、突然1段高い場所に登ったかのように振る舞う。選ばれる立場だった人間が、突然選ぶ立場に回る。欧州に比べて、未だに新卒採用が絶対的価値観を持つ日本では、新卒採用での失敗は、今まで登ってきた崖からいきなり突き落とされるようなもの。新卒採用での失敗による学生の自殺率の高さも異常だ。

 

全ては不誠実な面接のせいだ。『何様』な企業様のせいだ。

 

そう思って、企業にずっと悪態をついて生きてきた。

勉強と違って、就職活動は責任の転嫁ができる。

社会のせいに、企業のせいにできる。

就職活動はクソだと思い、留学中は日本の就活ってマジで終わってると友達に言い、結局はしゃべりのうまいやつが勝つ世界、すごいことをやってきたやつが勝つ世界、成果を出してきたやつが勝つ世界。いくら人間性が良くても、優しくても、いい奴でも、社会では、面接の世界では評価されない。トリリンガルでも、一流大学出身でも、自分のアピールを失敗しただけで二十数年間が否定される。そう思い続けてきた。

 

 

だが、『何様』を読み終えた時、僕は気づいてしまった。

重大な視点が抜けていたことに。

 

 

果たして、僕は”誠実な学生”だったのだろうか、と。

 

 

全ての企業に対して全力でエントリーシートを書いていたのか。

面接中、ネット上の有名企業ランキングや、年収、出身大学の割合、実績の凄さでその会社を値踏みしてなかったのか。一緒に面接を受けている学生のことを見下していなかったのか。

 

「自分はこんなすごいことをやった。隣の学生よりは自分はすごい」

「この企業はそんなに有名じゃないし、第一志望の練習」

「俺はこんなしょうもない企業でくすぶるような人材じゃない」

「この企業はすごい人が多いから、気に入られるようにしないと」

「どうせこの企業は受かっても行かないから、受けなくてもいいや、適当でいいや」

 

こんな考えを持っていたのではないだろうか。

自分は”学生様”になっていたのではないだろうか。

 

 

『何様』の中で登場する企業は、面接のタームを6回にも分けて行っているような企業だ。その理由は、まだ設立してから年月が浅く、学生の採用に苦労するから。最初に採用した優秀な学生が商社や銀行のような企業に取られていく可能性が高く、タームの回数が少ないと採用人数に不備が出てしまう。

 

履歴書の額面だけは優秀なような、無駄にプライドの高い人間はきっとこのような企業を練習としてか見ないパターンが多い。企業サイドがいくら本気でも、練習台として不誠実な学生様が受けてくる。不誠実な学生に対して、面接する側は誠実に対応したいと思うのだろうか。プライドの高い学生に対して、真摯に接したいと思うのだろうか。きっと、それは難しいことだろう。

 

でも、中には不誠実さの中に誠実さを見出そうとしてくれる人もいる。

 

就職活動の初期の頃、親会社とグループ会社を勘違いして受けた時の話。

 

それが自分にとってはたまたま第1社目であり、練習としてちょうどいいやと思ってなんとなく受けていたら、最終面接まで進んでしまったことがある。ろくに企業のことを調べもせず、志望動機も適当。まぁ、どうせ入らないし、そんな気持ちで面接を受けていた。面接官の方はというと、そんな自分にも熱心に接してくれた。多分、最初の数分でこちらに入る意思がサラサラないことを見抜いていただろう。途中から自分の人生相談みたいな感じになってしまったけれど、最後の最後までちゃんと僕に向き合って対応してくれた。こちらが不誠実にもかかわらず、そういった真摯な対応をしてくれる人も沢山いる。

 

全ての学生に毎回100%真摯に、誠実に対応するのは難しいかもしれない。僕らも、全てのエントリーシートを面接を100%本気でこなすのは難しいかもしれない。面接に落ち続けると、どこか人間性を否定された気になってしまう。また、人生の順序として学生の後に社会人が待っているわけだから、どうしても学生視点の気持ちを持ちがちになってしまうのも仕方ない。みんな沢山の仕方ないを抱えている。

 

そんな中、学生も企業も関係なく唯一できることは、人や企業の本質的な価値に上も下もないと理解することなんじゃないだろうか。売り上げとか、ネームバリューとか、見えるところだけで判断しないように気をつけることなんじゃないか。企業だって人の集まりだ。

 

僕が企業に対して不満を抱いていたり、就活を失敗したと思い込んでいたのは、目に見えること、考えなくても分かることだけに執着していたからだ。自分と企業を勝手にランク付けして、それで一喜一憂していた。

 

『何様』の表紙に書かれた顔のように、内心でいろんな人を馬鹿にしてはいなかっただろうか。誰かの必死さを嘲笑ってはいなかっただろうか。

 

この本に出会って、自分のフィルターだけを通して物事を決めつけていたことにハッとさせられた。仕方ないばかりがある就職活動の中で、僕らができることは、きっとお互いの中の少しの真摯さに目を向け、前向きに受け止めていくことだけかもしれない。

 

それでも、みんながそういう前向きな思考になったら、今よりちょっといい世界ができる。

 

そんな気にさせてくれた『何様』はひょっとしたら『神様』だったのかもしれない。

 

<終わり>

 

 

 

孤独に押しつぶされそうになあなたへ。こんな特効薬はいかがですか?

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学生の期間が終わったら、次は何になるのだろうか。

そんなの社会人に決まってる、と答えるかもしれない。

 

けど、僕はそうは思わない。

 

大半の人は企業人になる。つまり、企業という新しい箱を通じて社会と繋がるのだ。

真の社会人は、弁護士とか、税理士とか、自分のスキルを直接社会とつなぐことができる人のことを指すと思っている。

 

僕は今、社会と繋がれていない。

 

企業と正規契約を結んでいるわけでもなければ、自分のスキルだけ食ってくことができるほど優れた人でもない。

 

かっこよく言えばフリーランスって言えるのだろうけど、要はフリーターだ。

先輩のツテとか、業務委託とかでなんとか食扶持は繋いでいるけれど、常に精神を消耗している気分になる。歩くたびに、ズルズルと、強くあろうとする自分が削れていく。

 

僕は、就職活動を2回行って、2回とも失敗している。

 

そして、そのまま卒業した。

 

1回目の就活は正直舐めてたところがあったけど、2回目はかなり本気を出した。

 

やっと心から行きたいと思えるところが見つかって、OB訪問もして、選考結果のメールが来るたびに心臓が飛び出そうになるくらいドキドキした。2週間以内に連絡します、と言われ本当に2週かんぴったりでくることもあった。そしてやっと最終面接までたどり着いた。もともと半年で卒業する予定で、ここが受かれば晴れて内定を得て、ルンルン気分で留学に行けるはずだった。捕らぬ狸の皮算用ではないが、正直絶対に受かった気でいた。バラ色の社会人ライフの鍵をついに手に入れたのだと。

 

しかし、

 

結果は不合格。

 

僕のもっていた鍵はまやかしに過ぎなかった。ふっと、手のひらからその鍵は消えていった。

 

抜け殻のような状態で、留学ギリギリまで就活をしたけれど、ただ疲れただけだった。

自己分析なんていくらしてもわからないし、行きたくない企業用に志望動機も書けない。

加えて、周りの同期はすでに2年目という状態で、後輩にすら先を越されている状態がさらに僕の精神を追い詰めた。

 

自分のことが本当にクズに思えてきて、何度も死にたいと思った。

どうして周りの友達はできて、自分はできないんだと苦しいくらいに自分を憎んだ。

もっとああしてればよかった、こうしてればよかった、と後悔ばかりが積み重なっていく。

 

結局、絞った雑巾のようなメンタルで面接を受けて、見事に玉砕。

僕は社会の中に新しい箱を見出すことなく、卒業し、留学した。

 

留学から帰ってきた後、起業した先輩の手伝いや、インターンなどをしつつなんとか生きて行くだけのお金を稼いで生活をした。同期の友達は皆正社員なのに、自分はただのフリーターという事実が、真夏の太陽のようにジリジリと僕を照らし、気持ちを憔悴させた。

 

友達のいる前では、何事もないように振舞っていたが、家で一人でいるときは孤独と不安にいつも襲われていた。頭の中で「このままで大丈夫なのか」と声が響き続ける。好きなことを追いかけるのはやめて、ちゃんとしたところに就職すべきか、それとも給料よりも自分のやりたいことができそうなところで修業を積むのか。その問いが、ずっと繰り返し壊れたレコードのように繰り返される。

 

帰る箱はあっても、行くべき箱がない僕は、まるで暗闇の森の中にポツンと一人で立たされているかのような気分だった。行く場所も当てもわからない。ただ、時だけが過ぎていく。

 

そんなある日、夏風邪をこじらせてしまい、業務委託を受けている仕事を3日連続で休んだ。

精神がボロボロなのに、体調まで崩して踏んだり蹴ったりにもほどがあった。

 

仕事の都合上、ずらせない案件だけを片付けて一人暮らしをしているアパートに帰宅すると、部屋に両親がいた。

そういえばメールで自分の家に来ると言っていた気がする。僕は次の日に来るものだと思っていたので、びっくりしつつも、「体調悪いから寝るわ」と言ってベッドに倒れこんだ。

 

2時間ほど寝た後、体を起こすとまだ両親がいた。どうやら洗濯物を干してくれているようだ。風邪で寝込んでいたせいで洗濯物も随分たまっていた。

 

母親が「そろそろ帰るね」といった時、不意に涙がこぼれた。

 

止まらない。

 

多分、声にならない「帰ってほしくない」という思いが、形を変えて出てきたのだろう。

 

そして、同時に今まで一人で抱え込んでいた思いも、涙となって体の外へ出て行く。

 

言葉に言いあわらせない気持ちがどんどんと溢れてくる。

 

社会に行くべき箱がなく放り出されて半年。

友達の前では強がっていたけど、ついに抱えていた気持ちがこぼれた。

 

 

大人になって親の前で泣くなんて思わなかった。

 

 

僕はあまり親の前で自分の話をしないタイプで、大学に入ってからはメールの返事すら煩わしいと思うくらいの親不孝ものだった。「元気なの?」とメールが送られてきても「元気」と素っ気なく返すような、クズみたいな息子だ。親は自分の気持ちなんて全然わかってくれないものだと勝手に決めつけていた。実家にもあまり帰らず、心配ばかりかけていた。

 

 

母親が僕の壊れた心を包み込むように優しく声をかけてくれる。

今、自分が精神的に辛いことを話すと、それを受け止めてくれる。

社会に行くべき箱はなくても、帰ってくる箱はちゃんと残っていた。

 

 

むしろ、僕はそれさえ自分で踏み潰してしまうところだった。

母親に「勝手に来てごめんね」と謝らせてしまう自分は、本当にどうしようもないと思った。

 

父親は相変わらず何か声をかけてくれるわけでもなかったが、心配そうな目で僕のことを見ていた。

 

ひとしきり泣き終わると、少し、気が楽になった。

 

「何か作るね」

 

母親が、晩ご飯を作ってくれた。

 

久しぶりに母親の手料理を食べた。

 

どれも美味しくて、金欠で、毎日納豆しか食べていなかった僕の体全身に染み渡っていく。

今度は、その優しい味に涙が出そうになった。

 

「辛かったらいつでも帰ってきていいからね。待ってるから」

 

母親はそう言って、父親と帰って行った。

 

部屋に一人残され、ふと今の母親の強い優しさを思い返した時、ある映画が頭の中に浮かんだ。

 

映画というより、その映画の主題歌なのだが。

あんなにも人の心を揺さぶる主題歌には未だに出会ったことがない。

劇中は一切泣かなかったのに、エンドロールと主題歌のダブルコンボでボロクソに泣いて、映画館出た後も思い出し泣きして、さらに帰ってからyoutubeで検索してまた泣いたのを覚えている。

 

あれは、もはや卑怯なレベルで涙腺を攻撃してくるエンドロールだったと思う。

 

映画のタイトルは「おおかみこどもの雨と雪

 

主題歌は「おかあさんの唄」

 

 

あなたが遠く離れた母親を思い出す時、母親がどんな思いで小さい頃のあなたに接してきたかを、この唄を聴いて思い出してみてください。

 

きっと、今よりもっと、母親のことが大事になるから。

 

【閲覧注意】 もしもあなたが自分のことを人気者と思っているなら、絶対に読まないほうがいいでしょう

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告白します。

 

僕はどちらかというと人気者の部類に属する人間だと思ってました。

 

超絶イケメンではないけれど、イケメンかイケメンじゃないかの2択で仮に分けるとするならばイケメンよりに入っていると思っていました。

勉強も、まぁ、できる部類に入る方だと思ってました。

服のセンスも友人から褒められることがあり、自分はセンスがいい方だと思っていました。

Facebookの友達の数も、多い方だし、わりと先輩に可愛がられ、後輩に懐かれたタイプだと思っていました。

 

もちろん、根拠なくこんなことを言っているのではありません。

それに生まれてからずっと自分は人気者だと奢っていたわけでもありません。

人気者になるためにそれなりに努力をしてきました。

 

人気者の判断基準は様々だけれど、例えば頭の良さが挙げられます。

 

僕の通っていた中高では、中間テストや期末テストの成績の上位者30名ほどの名前が、A4サイズほどの紙にプリントされ、コモンホールと呼ばれる大きな共同スペースのような場所に張り出されます。

学校側からしてみたら生徒の競争意識を上げて、勉強を推進するシステムだったと思います。

僕はこのシステムに乗っかって、いかに自分が勉強が出来るのかを周りに認めてもらいたいと考えました。

文系科目はほとんどのテストで上位ランカーになり、苦手な理系科目も暗記すればなんとかなるような生物のような科目はランキングに載ることがありました。

 

ランキングは同学年だけでなく、後輩や先輩も見ることができるため、部活に行くと「先輩頭めっちゃいいですね!」と言われることも増えてきました。

そうやって言われるのはとても気持ちが良かったし、小学生まであまり周りにチヤホヤされたことが無かったため、純粋に嬉しかったのをよく覚えています。

 

勉強以外にも自分の人気が出そうなことには積極的に取り組んでいきました。

体育祭の応援団とか、生徒会とか。特別感があって自分が目立てそうなところには飛び込んでいきました。あと、これはたまたま運が良かっただけですが、僕は演劇部に所属していたので、全校生徒の前に立つ機会が他の人よりも多く、また在籍年数が上がるごとに主役をやる頻度も増えたため、必然的に自分の知名度も上がっていきました。

 

イケてる人気者はダメなところがあったらダメなんだと思っていた僕は、失敗や恥ずかしいことを避けるようになりました。イケメンの人気者はかくあるべきみたいな変な固定概念が僕を支配していたのです。

 

球技大会の前日なんて、バスケでうまくシュートを決める方法をネットで散々調べたし、初めて行くスノーボードでも周りから馬鹿にされるのが怖くて、必死に知識を集めました。

 

今でも人気者になるためによくやったなと思うのが、高校の体育祭で応援団をやった時です。

 

僕の高校の応援団は3年生男子は、皆、上裸に膝ほどまである丈の長い法被と極太の袴を着るという伝統がありました。その姿があまりにもカッコよくて、絶対に応援団をやると、高校に上がった時から決めていました。

 

ただ、上裸になるというのは僕にとっての一大事です。

当時の僕は太っていたという訳ではないですが、魅力的な筋肉が付いていた訳でもありません。だけど、体育祭の応援団というどう考えてもモテそうなイベントをないがしろにするわけにはいきません。 ようは、腹筋を割る必要があったのです。

 

そこで、当時流行っていたビリーズブートキャンプを親に内緒で買って夜な夜な筋トレに励みました。死ぬほど嫌いだった筋トレに、よくまあ二週間くらい本気で取り組んだものだと今でも思うのですが、それほどまでに人気者への執念は強かったと思います。

 

勿論そんな簡単に腹筋が割れる訳ではないのですが、それでもやる前よりは幾分かマシになって無事体育祭を迎えることができ、後輩から「一緒に写真を撮ってください」なんて言われたりもしました。

 

見た目にも相当気を使っていました。

中学3年生の頃には毎月3冊ファッション雑誌を購入し、ヘアスタイルや髪型を必死になって研究しました。毎朝学校に行く間に鏡の前に立ち、アイロンで髪の毛を伸ばし、ワックスをつけ、逆毛を立てる櫛を使って髪の毛を10分くらいかけてセットしていたのです。しかも、自転車で学校に通っていたため、前髪はピンで抑え、学校について向かうのは教室ではなく、トイレという有様。今なんて髪の毛のセットに1分もかけないので、よくやっていたものだと思います。

 

大学も浪人を経て、早稲田大学に入学し、僕の通っていた高校はみんなが上位の大学に行くというわけではなかったもので、高校時代の友人たちからたくさんの「凄いね!」という言葉をもらいました。

 

大学に入ってからはバイトを始めたこともあり、自分の服装に高校の時より異常なほど気をつかうようになりました。原宿の古着屋巡りから始まり、だんだん古着じゃ満足しなくなって、新宿の伊勢丹のメンズ館でデザイナーズブランド呼ばれる、高い服を買うようになりました。「たか=おしゃれ」という概念が友人の間に定着もしました。

 

バイト先もたまたま早稲田生がよく集まるカフェで働いていたので、サークルや学科以外の知り合いもたくさん増え、色々な組織に所属する先輩や後輩と仲良くさせてもらうようになりました。サークルの引退式でもらった後輩からのコメントブックには、たくさんのコメントが寄せられていました。遊びにもよく誘っていただき、今まで自分がイケメンの人気者になるための努力は無駄でなかったのだと、頑張ってきて良かったと思えました。

 

そしてこれからも、僕は人気者の世界の中で生きていけると信じていました。高学歴の大学を卒業して、一番にはなれないけれど、それなりに色々な人にちやほやされ続けて順風満帆な人生が待っていると思っていました。

 

 

 

この本に出会うまでは。

 

 

 

この本は本じゃないです。凶器です。暴力です。言葉の暴力そのものです。

もし、文字が具現化したならば、この本には大量の核弾道が埋め込まれていると言っても過言ではないでしょう。

 

54章の章立てからなるこの本は、例えるなら54個の武器庫の集まりです。地雷原を裸足で歩くような気持ちでないと読めない本です。

 

事実、1章の2ページ目にはすでに超大型の地雷が埋め込まれており、まんまと僕はそれを踏んでアイデンティティが吹き飛んだのです。

 

そこには、自分に自分の「哲学」や「姿勢(スタイル)」があるのか、と書かれています。

 

僕はこの文を読んだ時、自分の中に一切の「哲学」や「姿勢」がないことに気づいてしまったのです。人気者であるということは、すべての判断基準が他人に準拠しているということです。他人や世間がかっこいいと思う姿に自分を合わせているだけだったのです。

 

人からチヤホヤされ続けるだけの人生がなんと自分の「姿勢」のない虚しいものかと思い知らされたのです。

 

僕はエセ人気者の仮面をかぶった凡人に過ぎず、怖くてその仮面が外せないだけだと。

真のイケメン、真の人気者、真に頭の良い男などではなかったのだと。所詮はフツウだったのだと。

 

他人の視線第一で生きてきた僕は、これからどうすればいいのか突然わからなくなりました。

積み上げたジェンガがちょっとのバランスのズレで一気に崩壊してしまうように、僕の積み上げたものもバラバラと音を立てて床に散らばりました。

 

でも、24歳という若さでこの恐ろしい本に出会って良かったのだと、最近思うようにもなりました。

 

確かに、他人の評価を拠り所にして生きていく方が絶対楽だったと思います。

いい会社に就職して、いい年収をもらって、華金に喜び、長期休暇には海外旅行に行く。

同期との写真をSNSにアップし、いいねをもらって、周りから羨ましがられる。

 

今まで通りそんな人生を歩むべきだったと何度も思いました。

でも、知ってしまったのです。フツウでない男になるためには、周りと同じではダメなのだと。

友人や世間にどう思われてるかずっと気にしながら生きていてはダメなのだと。

 

正直、僕はまだエセ人気者の仮面を外せていません。

その仮面はもはや昔のようにピカピカではなく、ボロボロでくすんで、ところどころが欠けて、醜いことになっているでしょう。24年間の自分の考えや哲学はそう簡単に変えられるものではありません。

 

それに、今までの人生を否定することはあまりにも悲しいとも思います。

服が好きなことも、人前に立つのが好きなことも、人気者でありたいというだけの動機ではなかったはず。

 

 

そういった過去の自分を受け入れて、そこを超えて、真のイケメンになるために、自分に素直に生きるために、これからまだたくさんの時間が残されています。

 

きっとこの本を読まないほうが幸せに生きていける人も大勢いるでしょう。

むしろそういう人の方が多いとおもいます。

 

もし、この文章を読んで、自分も変わらないといけないと思った人がいたなら、この本を読んで、僕と一緒に頑張りましょう。

いつかこの本の内容に心から納得出来る日が来るまで、僕は努力しようと思います。

 

地雷原を踏みまくって、ボロボロになって、それでも良かったと思える日まで。

 

<終わり>