孤独に押しつぶされそうになあなたへ。こんな特効薬はいかがですか?
学生の期間が終わったら、次は何になるのだろうか。
そんなの社会人に決まってる、と答えるかもしれない。
けど、僕はそうは思わない。
大半の人は企業人になる。つまり、企業という新しい箱を通じて社会と繋がるのだ。
真の社会人は、弁護士とか、税理士とか、自分のスキルを直接社会とつなぐことができる人のことを指すと思っている。
僕は今、社会と繋がれていない。
企業と正規契約を結んでいるわけでもなければ、自分のスキルだけ食ってくことができるほど優れた人でもない。
かっこよく言えばフリーランスって言えるのだろうけど、要はフリーターだ。
先輩のツテとか、業務委託とかでなんとか食扶持は繋いでいるけれど、常に精神を消耗している気分になる。歩くたびに、ズルズルと、強くあろうとする自分が削れていく。
僕は、就職活動を2回行って、2回とも失敗している。
そして、そのまま卒業した。
1回目の就活は正直舐めてたところがあったけど、2回目はかなり本気を出した。
やっと心から行きたいと思えるところが見つかって、OB訪問もして、選考結果のメールが来るたびに心臓が飛び出そうになるくらいドキドキした。2週間以内に連絡します、と言われ本当に2週かんぴったりでくることもあった。そしてやっと最終面接までたどり着いた。もともと半年で卒業する予定で、ここが受かれば晴れて内定を得て、ルンルン気分で留学に行けるはずだった。捕らぬ狸の皮算用ではないが、正直絶対に受かった気でいた。バラ色の社会人ライフの鍵をついに手に入れたのだと。
しかし、
結果は不合格。
僕のもっていた鍵はまやかしに過ぎなかった。ふっと、手のひらからその鍵は消えていった。
抜け殻のような状態で、留学ギリギリまで就活をしたけれど、ただ疲れただけだった。
自己分析なんていくらしてもわからないし、行きたくない企業用に志望動機も書けない。
加えて、周りの同期はすでに2年目という状態で、後輩にすら先を越されている状態がさらに僕の精神を追い詰めた。
自分のことが本当にクズに思えてきて、何度も死にたいと思った。
どうして周りの友達はできて、自分はできないんだと苦しいくらいに自分を憎んだ。
もっとああしてればよかった、こうしてればよかった、と後悔ばかりが積み重なっていく。
結局、絞った雑巾のようなメンタルで面接を受けて、見事に玉砕。
僕は社会の中に新しい箱を見出すことなく、卒業し、留学した。
留学から帰ってきた後、起業した先輩の手伝いや、インターンなどをしつつなんとか生きて行くだけのお金を稼いで生活をした。同期の友達は皆正社員なのに、自分はただのフリーターという事実が、真夏の太陽のようにジリジリと僕を照らし、気持ちを憔悴させた。
友達のいる前では、何事もないように振舞っていたが、家で一人でいるときは孤独と不安にいつも襲われていた。頭の中で「このままで大丈夫なのか」と声が響き続ける。好きなことを追いかけるのはやめて、ちゃんとしたところに就職すべきか、それとも給料よりも自分のやりたいことができそうなところで修業を積むのか。その問いが、ずっと繰り返し壊れたレコードのように繰り返される。
帰る箱はあっても、行くべき箱がない僕は、まるで暗闇の森の中にポツンと一人で立たされているかのような気分だった。行く場所も当てもわからない。ただ、時だけが過ぎていく。
そんなある日、夏風邪をこじらせてしまい、業務委託を受けている仕事を3日連続で休んだ。
精神がボロボロなのに、体調まで崩して踏んだり蹴ったりにもほどがあった。
仕事の都合上、ずらせない案件だけを片付けて一人暮らしをしているアパートに帰宅すると、部屋に両親がいた。
そういえばメールで自分の家に来ると言っていた気がする。僕は次の日に来るものだと思っていたので、びっくりしつつも、「体調悪いから寝るわ」と言ってベッドに倒れこんだ。
2時間ほど寝た後、体を起こすとまだ両親がいた。どうやら洗濯物を干してくれているようだ。風邪で寝込んでいたせいで洗濯物も随分たまっていた。
母親が「そろそろ帰るね」といった時、不意に涙がこぼれた。
止まらない。
多分、声にならない「帰ってほしくない」という思いが、形を変えて出てきたのだろう。
そして、同時に今まで一人で抱え込んでいた思いも、涙となって体の外へ出て行く。
言葉に言いあわらせない気持ちがどんどんと溢れてくる。
社会に行くべき箱がなく放り出されて半年。
友達の前では強がっていたけど、ついに抱えていた気持ちがこぼれた。
大人になって親の前で泣くなんて思わなかった。
僕はあまり親の前で自分の話をしないタイプで、大学に入ってからはメールの返事すら煩わしいと思うくらいの親不孝ものだった。「元気なの?」とメールが送られてきても「元気」と素っ気なく返すような、クズみたいな息子だ。親は自分の気持ちなんて全然わかってくれないものだと勝手に決めつけていた。実家にもあまり帰らず、心配ばかりかけていた。
母親が僕の壊れた心を包み込むように優しく声をかけてくれる。
今、自分が精神的に辛いことを話すと、それを受け止めてくれる。
社会に行くべき箱はなくても、帰ってくる箱はちゃんと残っていた。
むしろ、僕はそれさえ自分で踏み潰してしまうところだった。
母親に「勝手に来てごめんね」と謝らせてしまう自分は、本当にどうしようもないと思った。
父親は相変わらず何か声をかけてくれるわけでもなかったが、心配そうな目で僕のことを見ていた。
ひとしきり泣き終わると、少し、気が楽になった。
「何か作るね」
母親が、晩ご飯を作ってくれた。
久しぶりに母親の手料理を食べた。
どれも美味しくて、金欠で、毎日納豆しか食べていなかった僕の体全身に染み渡っていく。
今度は、その優しい味に涙が出そうになった。
「辛かったらいつでも帰ってきていいからね。待ってるから」
母親はそう言って、父親と帰って行った。
部屋に一人残され、ふと今の母親の強い優しさを思い返した時、ある映画が頭の中に浮かんだ。
映画というより、その映画の主題歌なのだが。
あんなにも人の心を揺さぶる主題歌には未だに出会ったことがない。
劇中は一切泣かなかったのに、エンドロールと主題歌のダブルコンボでボロクソに泣いて、映画館出た後も思い出し泣きして、さらに帰ってからyoutubeで検索してまた泣いたのを覚えている。
あれは、もはや卑怯なレベルで涙腺を攻撃してくるエンドロールだったと思う。
映画のタイトルは「おおかみこどもの雨と雪」
主題歌は「おかあさんの唄」
あなたが遠く離れた母親を思い出す時、母親がどんな思いで小さい頃のあなたに接してきたかを、この唄を聴いて思い出してみてください。
きっと、今よりもっと、母親のことが大事になるから。